The Second Chapter : Interview with TAKUMI (Japanese ver.)
「The Artist’s Muse」インタビューシリーズ、第10回の主人公は、鉄や木、ポリスチレンといった多様な素材を通じ、目に見えない「間(ま)」を形にする作家、TAKUMI氏です。独学で自らの表現を切り拓いてきた彼は、10年以上にわたり彫刻と平面を行き来しながら、「存在」と「不在」の間に潜む微妙な均衡を探求し続けてきました。
TAKUMI氏の創作の原点は、「空白」という個人的な経験にあります。人生のひとつのページが空白であった時期を経て、再び「つくること」に向き合ったとき、彼は自身の作品の中に流れる「間」の存在に気づきました。それは単なる計算された構図ではなく、情報や意味が溢れる現代社会において、私たちがつい見落としてしまいがちな「余白」への自覚でもありました。
彼のまなざしは、日常の極めて細やかな感覚に注がれています。木漏れ日の揺らぎ、静寂の中に響くかすかな音、季節の移ろいとともに澄んでゆく空気。こうした日常の断片が、彼にとっての特別なミューズとなります。作家は、それら刹那の瞬間がもたらす心の波動を、「間(ま)を抜く」ことを意味する『Manuku』、そして「外側を通じて内側を見る」という『oinut』という二つのシリーズへと昇華させていきます。
特に、彼にとって「線」を引く行為は、忘れ去られていた記憶と内面の世界をつなぐ通路です。幼い頃に繰り返し見た夢の情景が、ある日何気なく引いた一本の線から鮮やかに蘇る。その経験は、彼の表現が単なる意志を超え、無意識の深淵と地続きであることを物語っています。
今回のインタビューで、TAKUMI氏は空白を埋めようとするのではなく、その曖昧さを肯定し、寄り添うことについて語ってくれました。「何もない状態が何かへと変わる瞬間を、ただ楽しみたい」という彼の淡々とした、けれど真摯な言葉は、アートが世界を測るひとつの誠実な「尺度」になり得ることを静かに教えてくれます。
内と外の境界を溶かし、自由な拡張を夢見るTAKUMI氏。その穏やかで力強い芸術の旅路へと、皆さまをご案内します。
-----------------------------------------------------------
Q. こんにちは。本日はお忙しいところインタビューにご協力いただき、誠にありがとうございます。はじめに、アーティストとしての活動と現在取り組まれているプロジェクトについて簡潔にご紹介いただけますでしょうか。
A. こんにちは。こちらこそ、よろしくお願いいたします。
私は、鉄や木、ポリスチレンを使ったオブジェや、ドローイング線を使用した平面的な作品を制作しています。現在は大きく分けて「マヌーク」と「oinut」という2つのシリーズを中心に、独学で制作しています。
Q. 最近の制作を動かしている、いちばん大きなインスピレーション(インスピレーションの源)はどのようなものなのでしょうか。その対象をはっきりと自覚するようになったきっかけや、その瞬間の情景についても、ぜひお聞かせいただけますか。
A. インスピレーション源は、いうならば「空白」といったものにある「間」です。それは、情報や意味で満たされている現代では見落としがちな盲点のようなものです。そう思うようになったきっかけは、自身の作品を見返したことにあります。
私は10年以上制作を続けていますが、活動を始める前、思い出の残っていない「空白」の期間がありました。その経験を経て、昔からものづくりが好きだったこともあり、自分で鉄作品や平面的な作品の制作を始めました。
独学ということもあってか、初期の作品の意味や意図を明確に説明することができず、自問自答する時期がしばらくの間ありました。
ある時、自分の内側ではなく、単純に目の前の作品を見たときに、「ドローイング」や「はざま」といったものが全体的な色や形を構成していることに気が付きました。
それは、純粋な衝動と共に、構成要素以上に本質的な存在としての「間」の現れだと理解しました。
Q. その出会いは、どのような感情が残りましたか。その後の制作の方向性や手法に何か変化はあったり、手放した習慣や新たに身につけた姿勢があれば、ぜひ教えていただけますか。
A. 長い間霧の中にいたような感覚が晴れ、解放的で広がる感覚がありました。「間」という言葉は、映画の広告などで耳にしていたのですが、作品と繋がったことで静かに興奮していたことも覚えています。
それまでは、社会的な「価値」や「完璧さ」といった既成概念に無意識に囚われていた気がします。
作品にある「間」の存在に気がついてからは、ドローイングや線を主軸に、「絵の具やペンキの垂れ」「紐を弾いた跡」といったコントロールしにくく、間接的で偶発的な表現を使うようになりました。
また、「ドローイングを示すことが間である」「意味を見いだせないことに意味があった」という逆説(パラドックス)が、「間を抜く」(マヌーク)という行為や、「外に内を見る」(oinut)といった姿勢につながりました。
Q. そのインスピレーション(インスピレーションの源)は、どのような感覚として立ち現れますか。光や音、空間の気配、触感、匂いなどで言うと、どのように感じていらっしゃいますか。色や質感、リズム、あるいは季節や一日のどの時間帯かにたとえると、どのようなイメージになりますか。
A. 難しい質問ですが、普段から気に留まることや感覚的に惹かれるものとしてお伝えしますと、
光と影によってできる「差し込む光」や「こもれび」また「肌に当たる感触」。
「静けさの中で不意に鳴る音」や「遠くで鳴る音」、水の音などの「自然にある音や響き」。雪降る中のシンとした「音のない音」そして、「季節の移ろい」で感じられる「土や花、木の匂い」。
「澄んだ空気」とわずかに「霞んだ気配」。
1日の始まりと終わりにある「朝焼け」や「夕日」。
「中間色」や「グレイッシュな色」と「ひび割れの跡」や「陶器の質感」。
「リズムそのもの」。
など、思いつくことをあげましたが、これらを認識することでうまれる、感情や感覚といった「隙間」にインスピレーション源がある、ということだと思います。
また、心が動かされた時にあらわれる、ぞくぞくする身体的な現象(鳥肌)。そこに最も「清らかさ」や「純粋な衝動」を強く感じます。
Q. そのインスピレーション(インスピレーションの源)が最もはっきりと表れている作品を、ひとつご紹介いただけますか。最初のスケッチから完成に至るまでの流れと、素材・色・形・スケールなど、主要な選択がどのように決まっていったのかをお聞きしたいです。
A. どの作品にも表れていると思いますが、最もシンプルに現れているものを紹介させていただきます。それは作品に使用している「印」です。私が初期に制作した作品には模様のようなものがありました。その形と、oinutシリーズ作品で扱ったパズルの形を組み合わせたものです。そうすることで私の制作の過去と今が1つになっています。さらに、境の線をなくすことで、目に見えない線の存在を表しています。
私の作品における素材などの要素は、完璧に考え抜いて選択してきた訳ではありません。「なぜか惹かれる物」や「何となくいいなと思うもの」「身近にあったもの」を制作の流れの中で組み合わせていることが多いです。なので、事後的な解釈が多くなってしまいますが、それらも結果として「間」というものがもたらした選択なのではないかと考えています。
Q. 時間をかけて振り返ってみたとき、そのインスピレーション(インスピレーションの源)との関係はどのように変化してきましたか。近づいたり距離を置いたりするサイクルや、新たに見え始めた側面があれば、ぜひお聞かせください。
A. 制作を始める以前の私と「空白」はすぐ隣にあるものでしたが、当時の自分にとっては、できることなら距離を置きたいものでもありました。
その不確かな緊張感から逃れるように、物理的に確かなものである鉄という素材へ導かれました。作品という形を残すことで、自分の存在を無意識に求めていたのかもしれません。
当時は、「空白」を埋めようとしていたのかもしれませんが、ここ数年は、「間」という曖昧さを含む存在となり、作れない時間も含めて「空白」を肯定的に捉え、「寄り添うもの」へと変わりつつあります。
また、作品の素材やスタイルが変わることに、流動的なエネルギーとしての、動的な側面があるのだと思います。
Q. インスピレーション(インスピレーションの源)とつながるために、大切にしている日々のルーティンや小さな習慣はありますか。逆に、インスピレーションが静かになっているときには、あまり無理をせずにどのように制作のリズムを保っていらっしゃいますか。
A. 意識的に行うルーティンは特にはありませんが、物事に対してあまり決めつけずに、感じたことを素直に受け入れるようにはしています。
また、制作と日常のバランスを取ることも大事にしています。私にとってドローイングは、自身の感覚とつながりを深くするものです。さらに、距離をおくことで、その幅を広げています。
そのために、音楽や映画、ファッションを楽しんだり、自然の中へ出かけて釣りをしたりと、違う時間を過ごしています。そうした「間を抜く」時間が、制作に戻った時に、ヒントや視点としてつながります。
パラドックスやスコトーマといった言葉も、そうした時間のなかで、映画を通じて出会った言葉でした。
Q. インスピレーション(インスピレーションの源)を追いかけていく中で、思いがけない道に踏み込んでしまった瞬間はありましたか。そのとき、どのような選択をされ、制作やご自身についてどんなことを学ばれたのか、ぜひ聞かせてください。
A. これまで話してきたことが私にとっては思いがけないことばかりでしたが、1つ面白いことがありました。
いつものようにドローイングをしていると、ふと引いた線から、子供の頃に何度も見た不思議な夢を思い出したことがありました。はっきりとした記憶ではないですが、「巨大なシーツかカーテンのよう白い布が、自分のもとに吸い寄ってくる」といった光景の夢です。その時、自分が引いたドローイングが、その布の寄り間にできる線のように見えたのです。
線を引く、あるいは表現することは、意志に基づいた行為であると同時に、忘れていた記憶やイメージを呼び覚ますプロセスでもあります。それは、内と外をつなぐ行為でもあると気づかされました。
Q. 観客の反応は、ご自身とインスピレーション(インスピレーションの源)との関係にどのような影響を与えていると感じますか。観客からの思いがけない解釈や対話が、次の制作の方向性を変えるきっかけになったような出来事があれば、ぜひ教えてください。
A. 今まで、作品を展示する機会があまりなかったので、制作の方向性が変わるようなきっかけはありませんでした。
一度、小さな個展を開いた際に、観客の方から「落ち着く」「理由はわからないけど好き」という言葉をいただいたことがありました。何となく惹かれる感覚は私の制作過程にもあることなので、うれしい言葉でした。
この経験は、独学で続けて来たことが、観客の方に受け入れられたことで、今までインスピレーション源としてやって来たことが間違っていなかったという1つの自信につながりました。
また、作品が観客の方にとって、真っさらな感覚の状態で、外側と内側の間をはかるような「定規」や「物差し」のような役割を果しているのではと、ひそかに感じました。
Q. コアとなるインスピレーション(インスピレーションの源)を大事にすることと、新しいことに挑戦したり表現を広げたりすることのバランスは、普段どのように取っていますか。また、周りからの期待と、ご自身のインスピレーションが目指す方向が食い違ったときに、どちらかを選ばなければならなかった経験があれば、聞かせてください。
A. 私にとってそれは異なるものではなく、コアを大事にするがゆえに、新しいことに表現が広がっていくのだと考えています。
かつては、作品のスタイルが変わることに『一貫性がない』としてネガティブに見られるのではないか、と悩んだ時期もありました。しかし、領域が広がり行くことは、コアとなるものを自分の中で維持し続けるためのバランスなのだと捉えています。
Q. 本日は、このように深いお話を聞かせてくださって、ありがとうございました。最後に、これからそのインスピレーション(インスピレーションの源)はどのような方向へ向かっていくとお考えでしょうか。新たに探ってみたい領域と、そこへとご自身を引き寄せていると感じる魅力について、ぜひお聞かせください。
A. こちらこそありがとうございました。
今現在、私の制作もまた、「間」といえるような期間にあります。そんな中、インタビューといった形で、独学ではありますが、制作しながら感じたことを、なんとか紡ぐことができ、自身にとっても貴重な機会になりました。
これまでお伝えしたインスピレーション源は、常に自分を「ゼロベース」に立ち返らせてくれる視点です。内と外の間をはかる「尺度」として、作品があるのだと感じました。その尺度は、より自由で多角的に広がっていくと思います。
「ない」が「ある」へと裏返ることを、シンプルに面白がれる方向へと向かうことを、今は望んでいます。
ありがとうございました。
Contact
アーティスト : TAKUMI
インスタグラム : @t.tunagary





Comments
Post a Comment